人はそんなに単純ではない。「トラウマ」が目標達成を阻む

人はそんなに単純ではない。「トラウマ」が目標達成を阻む

子供を亡くしたトラウマからうつに。そして離婚。

子どもを亡くしたあと私は、

「こうなったら毎年、子どもを産みつづける。そして絶対に速斗を取り戻すんだ!」

と、こんなふうに考えていました。

幼いころからスポーツをしたきた私にとって目標達成は得意技です。
なので「今から子どもを3人産む」という目標だってべつに例外じゃない。
すぐに達成できると思っていました。
でも現実はそう甘くはありませんでした。

「五体満足に子どもも産めない嫁もらうから、あんたが苦労しなきゃなんないだよ」

この言葉は速斗のお葬式のときに当時の夫の親戚か誰かが夫に向けて放ったものでした。
もちろん私には聞こえないと思って言ったのだとは思いますが、
この言葉は私の胸に突き刺さりました。
それでもこれから子どもを3人も産むと決心した私です。
傷ついたなんて言っていられません。
今日こそ子どもを作るんだと気合を入れてベッドに入る。

でもダメ、ダメなのです。

「五体満足に子どもも産めない嫁・・」この言葉が何度も何度も耳元で聞こえてくるのです。
すると、
「また死んでしまったらどうしよう。また五体満足に産めなかったらどうしよう」
とドキドキしてきて怖くなり、過呼吸。
ついには夫とも一緒に眠ることができなくなってしまいました。

それまでの私は、目標を達成できない人というのは、
手を抜いたりやる気や根性が足りなかったりするのだろうと思っていました。
トラウマが目標達成を邪魔するという経験を通して初めて、
人はそんなに単純ではない
目標を持っても達成することができないということがあるのだということを知るに至りました。

フラッシュバック 思い出したくないのに一日に何度も子どもの遺影が浮かぶ

一日に何度も何度もお葬式の場面が思い浮かび、
そのたびに「上の娘に何か起こると速斗が知らせてるのか」と、予期不安が起こる。
夜は「五体満足に子どもも産めない嫁」という言葉が頭の中でこだまする。
眠れず、食べられず体重も8㎏ほど減りました。
ボーッとしていたのか、家族でスーパーに出かけ娘をカートに乗せて買い物をしていたときのことです。
夫がカートの近くにいたので石鹸を取りにいこうと少し娘から離れました。
その数秒後、娘はカートに立ち上がりバランスを崩してカートから頭から落下し、
大きなこぶができてしまいました。
「痛いよお」と泣き叫ぶ娘を前に夫は
「お前がついてて何してんだ!いつまでもボーっとしてると愛生まで死ぬぞ!」
と、私を怒鳴りつけました。
私は
「速斗が泣いていたときほったらかして死なせたくせに。
私はあなたのこと守ってあげたのに何でわたしのことは責めれるの?
どうしてこんなヤツ助けるために速斗を解剖してしまったんだろう」
夫婦のきずなはこのときを境にブチッと音をだして切れてしまいました。

悪いことは続くもので、この数か月後、夫は腸捻転で緊急入院し手術をすることになりました。
退院後、1日で再発してまた入院。
そのときも
「こんなにたくさん料理をつくるから気を使って食べ過ぎたせいだ」
と私に責任転嫁しながら再入院していきました。
その一週間後、10年飼っていた犬が美容室でシャンプー中に亡くなるということも起こりました。
「ひとりずつみんな死んでいく。最後に私だけがとり残されるのかもしれない。」
と、恐怖におののく日々。
毎日、外出中に火事がおこりみんな黒こげになって死んでいるところに
私が帰ってきて号泣している夢をみるようになりました。
外出時はガスの元栓を100回くらい閉めたかどうか確認せずにはいられない。
本当に生き地獄でした。
とても子づくりに励むことなどできるわけもありません。
もう一緒にはやっていけない
我々夫婦はそう思い、離婚を前提に別居をはじめました。
離婚調停での彼の主張は、
離婚はしたくない、それでも離婚するというなら上の子の親権はもらうというものでした。
当時、娘が3歳になるまでは育児に専念してほしいという彼の意向で私は専業主婦をしていたので、
私が親権者になるには仕事をしっかりとこなしているということがポイントになります。
私は急いで就職活動に入りました。
活動中、知り合った人から看護科を持つ県立の高校で病欠代理の人員を募集していると聞きました。
短期間の勤務なので、
看護師の免許さえもっていれば大丈夫とのことで看護科のある県立高校で働くことになりました。

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残された娘も窒息死しかけ救急車で病院へ

それでも夫をいつか許せる日がくるかもしれない。
離婚したいと思ってはいても上の子のことを考えて何度も彼と向き合い、
別居後にも、一度はまた一緒に暮らしてみたりもしました。
同居後、すぐに上の子が健診で小児科医にADHD(注意欠陥多動性障害)ではないかと指摘され、
また「五体満足に子どもを産めない嫁」という言葉がさらに私を支配するようになりました。
もう子どもを作りたいという気力もなくなり、
今元気に生きてくれている上の子をしっかり育てよう。
夫婦仲はよくなくても最低限「ただいま」と子どもが元気に帰ってこれる家庭を作ろうと思った矢先、
娘がインフルエンザに罹患。
夜ご飯の支度があるので娘を夫に見ててね、と託した5分後
「おいっ!愛生が息していない。またかっ」と悲鳴のような夫の叫び声が聞こえました。
急いでかけよると吐物がのどに詰まり、息が止まって真っ青になった娘がそこにいました。
「助かるか、助かるか。お願いします助けてください」と騒ぐ夫に
「いいから119番、早く電話して」と指示をだし、
「神様、助けてください。お願いします。お願いします。」と唱えながら
ブルブル震える腕でハイムリック法を実施しました。
軌道に詰まった吐物を残気の圧力でなんとか出すことができないか、何度も何度もやりました。
でも戻ってきません。
「もうダメか」と、あきらめかけたそのとき、
娘のお腹からごぼごぼっという音が聞こえ、大量の嘔吐が起こりました。
この刺激で気道をふさいでいた吐物もはきだされたのでしょう。
息をふきかえし、それから大きな声で「わーん」と泣いてくれました。
抱っこした瞬間、おしりから大量の排泄物が流れ出てきました。
「あと少し遅かったら・・・」ゾッとしました。本当に危機一髪だったのです。
ようやく到着した救急車に乗り、また速斗が亡くなった病院に運ばれました。
このときばかりは医療者でよかった。助けられて本当によかったと神様に感謝しました。

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不注意の夫はADHDだった

夫に何があったのか状況を聞くと、
テレビをみながら愛生を寝かしつけていたけど、
なかなか寝ないので布団の中にグイッと入れてトントンと背中をたたいていた。
ごぼごぼという音が聞こえたけど、テレビの音かな?と思っていたら目の前に速斗がでてきた。
まさか!と、布団をめくってみると愛生の息が止まっていた。
と、そのときのことを話してくれました。
そして、
「もう子どもはいいよ。怖いよ。子どもはあきらめて、夫婦ふたりで仲良く暮らしていこう」
と抱きついてきました。
でも私はそのとき「この人といると愛生まで死んでしまう。絶対にそれは嫌だ。」と、
逆にやっぱり離婚しようと決心しました。

子どもを亡くした夫婦の半分くらいは離婚になるそうですが、
例外なくうちの夫婦も速斗が亡くなって3年後、離婚をすることになりました。
離婚後、わかったことは夫もADHDであろうということでした。
愛生の主治医から「娘さんと目が合いますか?」と聞かれたとき、
もちろん娘とも目が合わないのですが、夫ともほとんど目が合わないことに気づきました。
これまでうちの家庭に起こったことを先生に話すと、
「悪気はないんでしょうね、旦那さんは不注意がメインに出ているADHDで、
子育てのときにはまた同じことがあるかもしれません。
思いやりがないというよりは、相手のことにあまり関心を持てないということなんでしょう」と。
私はこれまで、なんでうちにばっかりこんなに不幸なことが続くのかと思っていました。
でもこの先生の言葉で、夫の不注意と責任転嫁するところや思いやりのなさは
ADHDによるものなのかと妙に納得がいきました。
それからは霧が晴れたかのように、
夫の言葉や態度もそして離婚してしまった自分の選択をも許せるようになりました

人のあり方、価値観によりそいながら行うのが本当のコーチングである

娘も夫もADHDだと言われているのになぜか心は穏やかでした。
一連のことで私は、
人を恨んで生きて行った先に幸せは訪れない。」
そう実感したのです。
近親者の死別体験のあと、
残された者に怒りの感情がでてきて消えないということがよく起こるそうです。
怒りの感情に身をまかせている間、心は千々に乱れています。
じつはその状態が不幸なのです。
いろんなできごとが起こりますが、それはすべて外的なもの。
できごとをどう捉え自分の気持ちを治めていくかで、幸、不幸が決まるだけです。
つまり、セルフコーチングが大事なのです。
心穏やかに生きれるということは人間にとってもっとも幸せなことです。
離婚により、あらためて私は
「子どもを3人作って死んだ子どもを取り返す」
という執着を手放すことができました。
目標設定が執着となってしまうと人は幸せを感じることはできません

目標を立ててもトラウマがその達成を止めることがある。
人は人生を生きている。
スポーツの目標設定のようにいかないことがある。

これらのできごとから私はコーチングとは人のあり方
価値観を大切にしながらやっていくことが命だと思うようになりました。
人の人生の重みを感じながら、気持ちによりそい、
さらに幸せになってもらえるようにサポートするのが本当のコーチング。
私のコーチングスタイルは私自身の人生の苦い体験から導きだされたものでした。

 

日本のカウンセリングの限界 コーチングの世界にトラウマを取る手法がある

フラッシュバック(葬式の遺影がことあるごとに目の前に現れる)や
言葉によるトラウマをどうにかしてほしい。
その一心で、このころ私は心療内科をはしごしていました。
カウンセリングもたくさんたくさん受けました。そのつど、やさしく傾聴してくれるカウンセラー。
でも私が求めていたのは傾聴でもパキシルをもらってボーっとすることでもありませんでした。
傾聴とかじゃなくてフラッシュバックがあって子づくりに励めないから、
「フラッシュバックを何とかしてほしい」というのが私の主訴だったのです。
インターネットで調べに調べると外国でNLP(神経言語プログラミング)という分野がありその中に
「恐怖症の治療」というものがあるらしいということがわかりました。

その分野の体験会にいき、そこのコーチと呼ばれる人に私のフラッシュバックの状態を話すと
「日本のカウンセリングは傾聴中心。あなたが求めているのはコーチングだよ」
と、アドバイスをもらいました。
「子どもを作る」という未来のゴールに進もうとすると、トラウマが障害になって困る、なんとかしたい。
これは「進もうとするときに起こる悩み」なので、
コーチングの領域での解決がベストということも教えてもらいました。
フラッシュバックやトラウマを緩和する方法が世の中にある、
この苦しみはいつか和らぐんだと思えることが、私に生きる希望を与えてくれました。
そして、この手法は日本の精神科や診療内科では扱わないということもわかりました。

「カウンセリングは過去を扱うもので、コーチングは未来を扱うもの。」

私は、まず自分のトラウマを緩和しよう、そして自分のトラウマが緩和されて元気になったら、
こんな方法があるということを同じ症状で困っている人たちに伝えていこう。
このときコーチになることを決心しました。

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